1945年の夏あなたはどこで何をしてましたか?
 1945年、最後の国民学校1年生として入学した私たちは、空腹に耐え、たび重なる空襲におびえ、あるいは母に手を引かれ見知らぬ土地をさまよい逃げ惑いました。
 そして迎えた終戦の日の静けさ。関心あるのはただ身の回りのことのみで、その日が世界史上に残る歴史的な日であることを識るのはずっと後年になってからでした。
 高校時代は幼い頃の戦時体験など話す機会もなく青春を謳歌することに精一杯だった私たちが、やがて古希を迎えようとする年齢に近づいた今、あの忌まわしい戦争の体験を記憶する最後の年代として、“記憶を記録に残す”想いに駆られました。

 この小冊子は、イデオロギー論ではなく、素直な幼い目で捉えた“戦争のもたらすさまざまな悲劇”を次世代に伝えたいと仲間たちが綴りあわせた文集です。

<< 掲載新聞記事 >>

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2006/08/12中日新聞夕刊    2006/08/13毎日新聞

2006/08/13伊勢新聞    2006/08/14朝日新聞夕刊

<< ネットニュース記事 >>

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2006/08/13MSN News

2006/08/13Yahoo!News

<<各方面からの感想・反響>>

    
湯川 れい子氏(音楽評論家、TVコメンテーター):
 「素晴しい本が出来て、本当に良かったですね。私もここまで好きな仕事をしてきて、もう失って怖い物は無いので、憲法九条を守るために、可能な限りあちこち九条の会で講演をしています。私も岩波書店の『私の8月15日』という文集に原稿書きました。 語りついでいかないと。私も父と長兄を失っていますので…」

澤地 久枝氏(作家):
 「1年生は1年生ならではの『記憶』をもっているのですね…」

俵 萠子氏(作家、俵 萠子美術館長):
 「すばらしい記録集。よくぞ出して下さいました…」

海老名 香葉子氏(エッセイスト):
 「三重県での空襲体験よくわかりました。・ガラスのウサギ像・といっしょに私が建てた上野の像の写真ものせて欲しかった」

高木 敏子氏(児童文学作家、「ガラスのうさぎ」の著者):
 (前略)私の一番下の妹(東京大空襲で死亡)と同じ年(当時)の方々、よくぞ 志(こころざし)を一つにして書いて下さったことを心より敬意と感謝申し上げます。孫のアドバイスでより若い人に理解しやすい『新版ガラスのうさぎ』を出しました。

関  美江子氏(日本語講師、戦争を知らない津高卒業生):
 「私たちの世代も共に、矢を放つ仲間にどうぞ入れて下さい。憲法前文と9条が載せてあるのも非常に印象的 です。  私と夫はかまくら9条の会々員です」



朝日新聞 MY-TOWN三重【展望 三重の文芸】(2006/08/30) :     
 
  ---前文略---  
 津高校昭和32年卒業生・戦争の記憶を記録する会編『国民学校1年生の戦争体験』に目を見張った。発端は学年の同窓会で「記憶を記録しておかなくては」という話から、という。寄稿は50人を超え、卒業者の1割とはいえ、戦中最後の年に入学した人たちの間で他にこうした文集はあるのか、と考えるなら、全国に誇れるものかもしれない。津空襲は当然だが、県外や海外での体験も予想外にあって、〈記憶〉の集積は歴史認識への通路だと痛感させられた。

 

<< ネットに表わされた反響 >>

    
ブログ 「六文銭の部屋」 様 2006/8/25           ●ホームページ 俵 萌子 


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三重県立津高等学校昭和32年卒業生・戦争の記憶を記録する会   





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