1)イエスは「私は世の光である」と堂々と言い放った。アンコウは「私は海底の光である」というほど自信はなかった(まして雄のアンコウは)。で、朗人君としては同じ「光である」ひと(アンコウは人ではないか)でもアンコウの方が軽く吊り下げられる。 2)イエスは処女懐胎、つまり雄は不要。アンコウは元々は雌雄別体ではあるが実態は雄が雌の体に子供みたいにくっついて、実質雌雄同体で雄の存在は無いみたいなもの。で、朗人君としては同じ雄不要論としてもイエスはまだ論理的に説明は難しいがアンコウの方はかなり解明できているので軽く吊り下げられる。 いずれの場合も「吊り下げる」はDeath by hangingでCrucify(磔)と同意。 なんてのはクリスチャンに怒られますかね。
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