昨年、伊賀街道を描く会の人からお誘いがあり、津城址から伊賀上野城址までの道筋の写生に参加しました。津城址で藩校・有造館の入徳門を描いているうちに、6年ほど前に偶然知った有造館の数学教師・村田佐十郎恒光を思い出し、文章にしてみたくなりました。
村田佐十郎恒光を知るきっかけは、6年前に鈴鹿郡関町の地蔵院に算額が現存すると聞いたので、そこを訪ねたことでした。しかし、その算額は随分前に、亀山市歴史博物館に移されていました。博物館を訪ねて見た算額には、「津藩士……」と読み取れない署名がありました。それで何か手がかりはないかと思って津市図書館へ行ったときに、「新巧算法」という古書を見つけました。その中に地蔵院の算額に示されているのと同じような図を見つけました。書いてある文字も大体同じでした。文の終わりには、村田恒光の名前がありました。 これで、地蔵院の算額の問題の作者は分かりました。
そこで見た「新巧算法」の図は、電球のガラスの部分だけを2個つないだような容器の中で同じ大きさの球と、その間にもう少し小さい球2個を入れて、4個の球が一直線に接しています。小さい2個の球の間に12個の小さい球をリング状に入れてあります。文字は、丁寧な楷書ですから大体の意味は感じ取れます。「大きい球の直径を定数としたとき、小さい球の直径はどれだけか?」というような問題ではないかと思いますが自信はありません。文章ではわかりにくいので写真を入れておきます。写真の撮り方が悪く、同じ大きさの球の大きさがちがって見えます。この問題は、たとえ、解答を見せていただいても私には理解できるようなものではありません。 |