津高S32
2003箱根旅行記
2003年10月28日   梅本貞治


何事もすべてはここから始まった
(Photo by Ujin)
 昨年2月3日、津高校32年卒業同期生の同窓会が開かれた。
この会も、津地区を中心に開かれるのは、半ば恒例となってきたが盛り上がりの中で、今度は、一泊旅行に出てはどうか、と言う意見が多くなってきた。もちろん、異論のあるわけはなく、幹事長を中心に、徐々に検討が進み、この際、遠方、特に東京地区からの参加をなるべく多くしたいとの考えから、目的地を、箱根とし、東京地区の幹事団も含めての、事前の視察も行われ、その日は、2003年10月26、27日と決まった。津方面からはバスを仕立て、大阪名古屋地区の人には、名古屋から乗車してもらい、東京地区の人は現地集合、夜は、大宴会を華やかに開き、翌日箱根を観光して帰る、と言う大まかなスケジュールもできた。
 津地区では、この旅行を有意義なものとすべく、クラス幹事が、クラスごとに2、3名任命され、何度か集まって、協議を重ねた(と言うよりも集まって飲み、食べ、話をする方が狙いであったかも知れない)。この間、幹事長のもとから全国に案内が出され第一回目の予備集計では、130名もの人の参加予定が見込まれたが、最終的には95人という数に落ち着いた。10月18日には最終の集まりが持たれ、バスの乗車区分、宴会の進行、部屋割り、等々が決められ、あとは当日を迎えるのみとなった。

 10月26日、快晴。この日を祝うかのように、津の空は一点の雲もなく晴れ渡り、前途の楽しさを予感させてくれるようであった。1名が突然風邪で欠席、という少し残念な事態もあったが、42名の、かつての若者を乗せた2台のバスは、8時、無事津駅西口を出発、伊勢道路、東名阪を経て、名古屋駅西口に到着、大阪、名古屋地区の28名の人を乗せて、東名高速を一路東に向かった。津を出発するなり、持ち込まれたビールを早速体内に取り込んで、結果的に、バスのパーキングエリアへの立ち寄り時間を早めることになった人も居たとか居なかったとか。
はやばやと 車窓に富士が お出迎え
(Photo by Sinyan)
 焼津魚センターでの昼食の後、沼津ICを経て、箱根に続く道路に入る。少しずつ高度を上げて行くバスの周辺は、ススキが綺麗で、箱根笹と言う特徴のある笹も広がっていたが、紅葉にはまだ時間がかかりそうであった。箱根峠を越えて、箱根新道という道路に入り、須雲川と言うインターで降りると、今日の宿、ホテルおかだに着く。しかし東に向かっているバスは、ここで降りる出口がなく、一旦通り過ぎて料金所まで行き、ここでUターンして、再び須雲川のインターで一般道路に出、予定より少し遅れてホテルに着いた。ここには、既に到着していた東京地区から参加の25名の人が、出迎えてくれていた。  各部屋に別れて、しばらく休憩の後、皆それぞれに大浴場に向かい、温泉気分を味わう。ホテルおかだは、大きな規模の宿で、大浴場も広く、露天風呂もそれなりに風情のあるものであった。ここの温泉の効用が何であったかは聞きそびれた。さて、いよいよ大宴会となる。まず、全員集合の写真を写す。95人ともなると、なかなか整列にも時間がかかる。幹事長挨拶のあと、同期生の物故者に黙祷をささげる。43名と言う、ほぼ1クラスに近い方々が、既に幽冥を異にされている。誠に残念だが、人の命は永遠で ないことを痛感する。乾杯のあとはしばらく食事を楽しみながら、周りの人達との思い 出話に時が過ぎる。卒業以来、40数年ぶりの再会となる人も居て、その変貌、或いは 逆に昔のままの姿に、驚き、懐かしさがこみ上げる。呼び物は、卒業アルバムからPC に取り込んだ顔写真の、プロジェクターによる映写。今見ると、かつてはこんなに、美 少女、美少年ばかりであったのかと(今でもそうだが)、時には大きな歓声が上がり、 思わず笑みがこぼれる。
元々は 美少女ばかり だったはず
―写真クリックで拡大― (Photo by HERO)
 続いて本日の出し物は、フラメンコ、男女それぞれの日本舞踊。長年鍛えた芸の年輪が、会場に心地よい緊張感を生み出す。他にもまだこのような芸を持っている人もいるに違いない。次回が大いに期待される。クラスごとの写真を写す時間となる。自分のク ラスのことを忘れていて、最後に、俺はまだ写してもらっていないぞ、と叫ぶ人も居て会場の笑いを誘う。何人かの人がカラオケを歌う。このようなときに歌を聴いている人が、意外に少ないのはどこでも同じことである。終わり近く、津高大阪同窓会幹事から の挨拶がある。来月9日は、津高大阪同窓会があり、32年卒組が幹事を務めるので、各地からも是非参加してほしいとのこと。津地区からは既に10人近い人が参加を予定 している由。成功を祈りたい。そしてフィナーレは、全員が肩を組んでの校歌の斉唱。 5年前は、都ホテルでフォークダンスを踊ったなあ、と思い出が頭の中をよぎる。3時 間に亘る宴会はあっという間に終わって、隣室での二次会。ここでは、再びプロジェク ターによる、昔懐かしい写真の映写が始まる。思い思いに座っての歓談はいつ果てると も知れなかったが、ようやく夜も更けて、皆三々五々それぞれの部屋に戻っていった。そのあとも、各部屋では話に花が咲いて、日付の変わったことも知らずにいた例もあったに違いない。
マドンナも “垢つきの君”も 再登場 授業料 払えばこその 名人芸
   来月は 大阪地区も 宜しくと カラオケや しびれ飛び入り ご両人   
   酒酌めば 思い出さるる 応援歌 長き夜の 更けても尽きぬ 回顧談   
    (Photo by HERO,Sinyan,etc)
明けて10月27日、少し雲は多いがまず好天。全員揃って寄木細工会館に向かう。箱根の寄木細工は、平安時代に始まり、江戸時代に盛んになったもの。いろんな色の樹 木、さくら、けやき、えんじゅ、ほお、かつら、まゆみなどを集めて、モザイク模様の寄木を作り、これを薄くそぎ取って、細工物に貼り付けてできあがる。いつもは、職人の人が実演してくれるらしいが、月曜日はお休みで、ビデオが写されていた。伝統ある民芸品に感心することしきり。ここは畑宿と言う所だが、昔の街道の石畳や、一里塚の 残っているところで、何人かの人はその道を歩いていた。今残る石畳は、皇女和宮の降 嫁に際して、幕府が整備を命じたものと、説明書きにあったが、何とも歩きにくい道で 昔の人の苦労が偲ばれた。
(あとから調べると、これは江戸幕府防衛上わざと歩きにくくしたのだそうで物事の判断は難しい。)
        
畑宿の旧街道
(Photo by HERO)
秋色の芦ノ湖湖畔
(Photo by HERO)
芦ノ湖を遠望しながら、元箱根に着く。ここで、自由時間となる。幹事長の考えではここを起点として、いくつかの散策のルートを各個人が考え、自らの好みにあった観光をするということであったらしいが、この旅行を扱っている業者の方から、皆さんいろいろ考えるのも大変だという方には、折角バスがあるのだから、十国峠観光、昼食つきで、2000円のオプショナルツアーを設定しますので、よければ参加して下さいとの PRがあった。結局60人を越える人たちが、これに乗っての自主性のない安易な道を 選んだ(筆者もその一人、情けない)。自主的な人たちは、美術館、船による芦ノ湖遊 覧等を選択、中には絵筆をとって写生、と言うハイレベルな時間を過ごした人もいた
美女軍に 富士も隠れる 雲の中
(Photo by hoshig)
 さて、駐車場から3分間ケーブルカーに乗って登った十国峠は、ここから昔の10の国、駿河・伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総・甲斐・遠江が、見えたという所から付けられた名で、他にも伊豆の五島、大島・三宅島・新島・神津島・利島も見えるとい う、360度の展望の場所である。少し多かった雲が、この頃はぐっと少なくなって、晴天、富士山もその頭を見せ、絶景とでも言うような風景。山があり、街並みが見え、海も遙かに見渡せる。標高766mと言う高さではあるが、今日は暖かく、春のような 霞もかかっている。従って、遠江とか安房とかの遠い国は見えず、大島の噴煙も目にすることはできなかったが、景色の良さには変わりがない。僅かの時間ではあったが、風 景を十分楽しみ、昼食の後元箱根に戻る。出発予定の、13時30分までの時間、箱根関 所跡を見学に行ったが、現在、修復工事中で残念ながら、昔の様子を偲ぶことはできなかった。個人的な感想ながら、箱根の関所は、山奥にあると思っていたが、実際は山奥ではあるものの、湖の畔に位置していて、明るい感じの所にあり、意外な感を持った。
名残惜しいはお互いさ…
(Photo by HERO)
 旅の予定もこれで終わりとなり、東京組との別れの時が近づいた。バスの前で、名残を惜しむ人たちが、何時までも話し合い、語り合っている。幹事長挨拶の後、万歳3唱 をしたが、それでも、まだ話が尽きず、バスが発車したのは、もう14時に近づいてい たと思う。  沼津インターの手前の干物センターは、家へのお土産を買う人で一杯だったが、我々のグループもその例に漏れず、膨れ上がった土産物袋を下げて、バスに乗り込む人が多かった。普通、女性は多くの買い物をし、男性は殆どしないものだが今日はなぜか、男 性も大きな袋を抱えている人が目に付いた。浜松付近から名古屋まで、緩やかな渋滞が 続き、大阪に帰る人の足が心配されたが、それでも、19時頃には名古屋駅に着き、ここで、名古屋・大阪方面の人と別れ、バスは少し寂しい雰囲気を漂わせながら、津に向 けて走る。折しも、日本シリーズ最終戦がテレビで放送されている。阪神ファンが多そうな車内ではあったが、最後は阪神が破れ、丁度その試合が終わったとき、バスは津駅に到着した。
 2日間の、思い出深い第二の修学旅行は、こうして終わった。旅の終わりは、なんと言っても寂しいものである。しかし、また何時かこのような旅が実現することを祈って 筆を置く。この企画の実現に協力していただいた方々、分けても、終始これに努力をさ れた幹事長に心からお礼を申し上げたい。
 終わり  


                    
(写真コメント及び編集責任:☆G)
                     
                                                          

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