津高校32年卒同窓会は、一昨年、初めて箱根への一泊旅行を実施したが、1年おいての今年は信州安曇野散策を中心とする旅行が計画され、10月22、23日にこれを行うこととして、早くからPRされていた。今回の申し込みは、85人と、前回よりは少なかったが、それでも観光バス2台が十分必要な数にはなった。誠に残念なことではあるが、前回から今回までの間に、同期生の数が、5人減ったという報告が後ほどあり、しかもそれが男性ばかりであったので、男性同士の間では、しばし悲観的な雰囲気が流れたが、気を取り直して、陽気にお酒を楽しむ方向に流れた向きも、結構あった。

 10月22日、曇りがちの天気ではあったが、今日一日は雨も降らないとの予報のもと、バス2台が、8時00分津駅西口を出発。今回は、幹事長の配慮により、内1台がトイレ付きというありがたいことであった。そうでないバスの方では、緊急に予定のサービスエリアより手前で停車するという事態もあったため、トイレ付きは大いに有効であったかと思われたが、後で聞くところに依れば実際の稼働率は殆どゼロであった由で、これに乗車された方々の懐の深さは相当なものであった。東名阪道路の大山田サービスエリアを過ぎると、車内にはビール缶、チューハイ缶、日本酒が出回り、早くも大いに盛り上がった。名古屋駅西口で、大阪地区、名古屋地区から参加の仲間を迎え、さらにサービスされたアルコール類を中に、益々雰囲気は昂揚。レストハウス駒ヶ根での昼食時には、かなりの人がすっかりできあがっているという、誠に言いようのない状況になっていた。
 松本駅で、東京方面からの人たちを加え、全員が揃い今回の最初の見学地点である、松本の、日本浮世絵博物館に向かう。
歌麿も 写楽も見返る あで姿
ここは松本の豪商、酒井家が200年間に渡って収集した浮世絵の殿堂で、歌麿、北斎、広重等、誰でも知っている版画家の絵を中心とし、そのほかの多くの画家の絵を展示している。謎の画家、東州斎写楽の役者絵は、中でも迫力のあるものであった。復刻版が多かったのは残念であったが、日本の伝統的文化遺産に接することができ、教養を飛躍的に高めて、豊かな気分に浸ったことであった。隣接して、日本司法博物館と言う少しユニークな博物館もあり、敢えてそちらの見学を選んだ人もあったと聞く。

 当夜の宿は、大町温泉の、「緑水亭景水」と言う大きな宿。先日、幹事会で決められた部屋割りに従って、それぞれの部屋に入り、温泉に浸かる。土曜日とあって、客は多く、脱衣場では空いた篭を探すのに手間取るなどしたが、それでも露天風呂のんびりした感じは十分味わうことができた。6時からの大宴会は、まず恒例の全員写真から始まり、物故者への黙祷、宴会へとすすみ、各クラスが前に出て、簡単な挨拶をする。最後の10組の時には、10組以外でそれまでに出なかった人(自らのクラスが分からなかった人)も加えて、10人あまりが前に出て挨拶をしたが、その中での10組以外の人の数はここでは報告しないこととしたい。
良くぞまた 今宵集えり 仲間たち
そこ此処に 懐古の花咲く 宴かな クラス名 忘れてしもたが まァええか
乾杯の グラスは私 猪口貴方 まあ一杯! 私を酔わせて どうする気?

 二次会は、宴会の部屋を半分に仕切ったスペースで、カラオケを中心にしたものとなったが、思いがけないK氏のリズム溢れる元気な踊りが、満場の拍手喝才を浴びた。相方K女史の相も変わらぬ、サービス満点の踊りももちろん、全員の賞賛を浴びた。のどに自慢の人のカラオケも、それなりに聞かせるものではあったが、唱った人の数必ずしも多くなかったのは、ちょっぴり残念であった。いつまでも楽しんでいたいのは山々ではあるが、明日の予定もあり、楽しい二次会は10時半頃お開きとなった。筆者は気がつかなかったのだが、この頃外は大雨で、明日の天気が大いに心配されていたとのことであった。
明けて、10月23日。外は、霧が少し掛かり、曇りがちの空模様。しかし、昨夜の雨はすっかり上がっていて、心配はなさそうである。バイキングの朝食で、いつもより量の多い食事を済ませた後は、売店でお土産を買う時間。旅館の前には、鹿島川と言う、大雨でも降ればかなり濁流になりそうな川が流れ、土手が散歩道になっていて、筆者は少しこれを歩いてみたが、寒くて早々に引き上げてきた。予定の9時、バスは発車し、碌山美術館に向かう。所用のため、一足先に宿を出たW氏から電話が入り、穂高駅では快晴だという。なるほど、曇り空の大町温泉郷から少し出ると、天候はだんだん晴れてきて 、北アルプスの山々が少しずつ姿を現し、北の方の、鹿島鑓・五竜など雪をいただいて美しい。

 碌山美術館は、彫刻家荻原守衛、号碌山の記念美術館。本館は碌山の絵、彫刻の作品や資料が展示されている。写真でよく見る蔦の絡まった建物が、そのまま目の前にある。31才という若さでなくなった碌山が、彫刻の道に入ったたのは25才になってからで、作品は多くないが、すべての作品がここにあるという。筆者は、「文覚」と言う作品に力強さを感じたが、解説によると、作者自身は内的力強さに欠けると感じていたそうで、見る目のないものは情けない。第一展示棟、第二展示棟は、碌山に関係のあった、高村光太郎、中原悌二郎、石井鶴三、戸張孤雁等の作品が展示されている。三重県美術館にもこれらの人の作品がいくつかあり、親しみを感じさせる。

 穂高駅前の、ひつじ屋と言う貸し自転車屋に来て、ここで貸し自転車に乗る人、バスに乗って観光する人に分かれる。貸し自転車は、バッテリー付きの電動車である。地図に従い、大王わさび農園に向かう。途中、東光寺と言うお寺があり立ち寄った。仁王門があり、仁王の履く大きな下駄が置いてある。靴を脱いで履くようにと書いてあるが、あまりに大きくて履くことはできなかった。ここからは田圃の中の道になる。開けた田園の中、遠くに北アルプスの山々、さわやかな風が少し汗ばんだ肌に心地よい。昨夜の二次会の最後に、「青い山脈」をみんなで歌ったが、自転車で走る若者(?)の群と周りの景色とは、昔映画で見た「青い山脈」そのままの風景ではなかっただろうか。大王わさび農園に入ると、谷のような地形に、わさび栽培の畝が綺麗に作られている。まだそれ程成長していないわさびが、芽を出している。蓼川と言う澄んだ水の川が流れ、昔風の水車がしつらえてある。絵心のあるK氏は、早速スケッチ帳を取り出し、写生に余念がない。わさび田を渡る橋があり、それを越えて行くと、さらにまたわさび田がある。こちらはかなり成長していて、すぐにも収穫できそうである。売店では、取れたての天然わさび、わさび漬け等が売られていたが、お土産の売り上げトップは、わさびマヨネーズだそうな。
銀輪を こげば靡くよ 銀髪が      私にも 新子と同じ 年代(とし)はあり

 安曇野はまた道祖神の野でもある。さらに地図に従って自転車を走らせると、「水色の時」道祖神と言うのがある。なぜ、「水色の時」と名が付けられたのかは、定かでない。次に、「早春賦歌碑」がある。誰でも知っている、「春は名のみの風の寒さや」という歌の碑である。作詞は、吉丸一昌で、この歌は安曇野を歌ったものだと言われ、毎年この地で早春賦歌謡祭が開かれると言う。何人かの人は、この歌を口ずさみ、いつの間にか二部合唱となっていた。集合時間も近づいた。再び、ひつじ屋に戻る。若干汗をかいたので、男性諸氏はここで缶ビールにのどを潤す。ほろ苦さが何とも言えない。
 少し予定時間を過ぎているが、昼食場所の、「たこ平茶や」に行く。信州へ来たのだから、昼は蕎麦が出るかと期待していたが、残念ながら蕎麦ではなかった。これで、今回の旅の予定は滞りなく終了した。バスは、松本駅に着き、東京組とのしばしの別れを惜しみ、渋滞の松本市内を抜けて、長野自動車道から、中央高速を走って名古屋に戻った。名古屋駅で、名古屋組ともお別れ。津駅西口に着いたのは、20時頃であったろうか。1号車では、御在所サービスエリアで、重大な忘れ物(なんと、大の男一人)のハプニングがあり、20分ほど遅れたが、何とか無事に全員帰り着くことができた。
 次は、2年後に、古稀記念(数え年)の旅が計画されるとのこと。それまで、一人も欠けることなく、顔が揃えられることを心から念じて筆をおく。          
(2005/10/25)
   
わが青春 重ねて見たり 道祖神 青春は 名のみならずや 旅の空

<注>   写真提供: Yama ・ 海幸彦 ・ 秋水 ・ 倭神豚                   挿入冗句及び編集責任:   ☆G   

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