美杉村前夜祭の記         いい湯だな〜  
2006.8.12   梅本貞治            

 一志郡美杉村と言えば、三重県の中でも広い村で、その名の通り美しい杉が見られる所、三多気の櫻、北畠氏館庭園、君ヶ野ダム、川上若宮八幡宮等が知られている。我らの年度の幹事長、T氏の生家がその美杉村、今は合併して津市となったので、美杉町川上と言うところにあり、今は誰も住んではいないが、十分宿泊はできるので、一度同級生で泊まりにきてもらってはどうか、と言う話が出たのは、今年の春頃であったろうか。山奥で、夏は涼しく、アマゴが美味しく、夜はドラム缶のお風呂を仕立てて入るのが面白い、とのキャッチフレーズである。8月5日が、津高同窓会で、いつものように我々の年度は、その後の二次会にかなりの人が集まるので、その前の晩、8月4日が適当ではないかと、予定を定め、32年度のHP、『出逢い再び…』の「談話室」で参加者を募集、そのほかの場でも呼びかけを行った。定員30名として話を進めたところ、最初は少し足取りが重かったが、徐々に数も増え一時定員30名に近づいたものの、最終的には25名という、それでも結構な数の参加者が確定した。
 当日夜は、庭でバーベキューを、と言う計画に対し、当日参加者の中で役割を決め、食材を購入して行こうと話し合ったが、結局、T氏の方でこれらを一括して手配してもらうことになり、参加者は、自らの寝具のみを用意して行けばよいと言う、ありがたいことになった。
 T氏宅には、津から車で約1.5時間かかるが、JR名松線で終点の伊勢奥津まで来てもらえば、そこまでは車で迎えに行くとのことで、これを利用する参加者を募ったが、これには3名の人が応じたのみで、あとは車で乗り合わせて行くか、個々に車で行く人が殆どとなった。名松線は、いずれ廃線になるとの話が専らで、地元の人はこれをできるだけ利用し、少しでも赤字を減らして、存続させようと運動を続けているが、地元出身の幹事長としても、この際、名松線をできるだけ利用して欲しいとの願いもあったのだろうがその心を十分理解してあげられなかったのは、残念と言うべきであっただろうか。

 8月4日、10時30分、久居の野菜市場、キャロットに3台の車が集合し、11名の人が乗り合わせて美杉に向かう。途中でさらに一人を拾い、計12名となる。雲出川に沿って、山奥を目指す。八知を過ぎて左に曲がり、道は益々鄙びてくる。かつてこのあたりの道は、車が1台通るのがやっとと言う状況で、すれ違いには大いに苦労したものだが、今はかなり拡幅されていて、昔のようなことはなくなった。名松線の線路に沿って走ると、終着伊勢奥津駅。時間は12時頃で、列車の着く時刻、12時28分にはまだ少し時間がある。取りあえず駅前広場に行ってみると、単独で車でやってきた2名の人がいて、ここで昼食をと言うことになったが、付近には店らしきものがない。今来た道を少し戻ると、道の駅美杉があることを聞き、そちらに向かう。早くできるものは何ですかとの問いに、伊勢うどん、ラーメン、等々の答えが返ってくる。地元の手づくりのお菓子を食べる人もいる。
 伊勢奥津の駅の先を左に曲がると、川上地区へ行く道となる。こんな所にも家があるのだろうかと思うような所を数分走ると、かなりの集落があり、シャクナゲ会館という建物を右に曲がって間もなく、左手にT氏宅があった。付近の道路や空き地に、適当に駐車する。まさかここでは駐車違反で捕まることはないだろう。
 家に入ると、すでに車で到着していた人が何人かあり、テーブルを囲んで、ビールや美杉の美味しい水を味わっている。家は大正年間に建てられたものだとかで、昔風の家だが、相当改造もされていて、台所などは今風の造りになっている。仏間には立派な仏壇があり、上を見上げると、T氏の、お祖父さん、お父さんへの叙勲の賞状などが飾られていた。 夕食のバーベキューの時間まで、先般の有志の沖縄旅行のDVDを鑑賞する。Y氏の力作で、約1時間半、バックに沖縄の歌のメロディーが流れ、参加した者にとっては懐かしくも楽しい映像だった。この間女性方は、食材の準備に忙しかった。
 いよいよバーベキューの時間。火をおこす人、周りの座席を準備する人、テントを張ったりする人、ドラム缶の風呂の準備をする人、いろいろな役割に分かれて活躍する。問題は、炭火であって、これがなかなかおこらない。新聞紙などに火をつけて、この上に炭を置き団扇で扇ぐのだが、地面のすぐ上であることもあって、空気がなかなか通らない。割木を細く切って火をつけこれでようやく炭も赤くなってきた。別途、バーベキュー専用の道具があり、これは流石に早く火がつく。
松阪牛のバーベキューを堪能

 バーベキューは、牛肉、鶏肉、サザエ、イカ、エビ、アマゴ、アワビ、各種野菜と色とりどり。食べるそばから次が焼き上がってくるので、なかなかお酒を飲む暇がない。そのお酒は、ビール、ウィスキー、焼酎、中国の強い酒(名前は忘れた)、日本酒と、これも何でもある。中でも、美杉のアマゴはなかなか美味なものであったことを書いておかなければならないだろう。加えて、地元の専門店に注文したという、アマゴご飯があったが、なかなかそこまで手が回らなかったというのが本音である。
 宴酣となる頃、ドラム缶の風呂の準備ができあがる。白山町に湧き出る温泉水が、20リットル入りのポリタンクに、4本蓄えて置かれており、これに水を加えて火で熱すると風呂ができあがる。最初に誰が入るか。しばらく皆様子をを伺っている。果然、立ち上がったのは、久居家田屋の大女将。ハワイで調達してきたという、日本では売っていないようなデザインのムームーを着たまま、ドラム缶にお入りになった。ザバーっと湯が溢れるかと思ったが、流石にスリムな体、そういうことにはならなかった。このあと次々と男性陣が入ったが、中には、湯を一杯溢れさせて、危うく火が消えるかと思わせるケースもあった。
 風呂上がりには、ビールではなくて、花火。いろいろな種類の花火があり、皆童心に帰って、夜の闇に、火花を散らす。どれも綺麗だったが、一番心に残ったのは、やはり昔懐かしい線香花火であった。
 余は満足でおじゃる!以前、このあたりで熊がでたという新聞記事が紹介されたことがあったが、まず、熊はでないものの、鹿にはよく出会うらしい。何人かの人が、鹿との出逢いを求めて、夜の道に繰り出した。鹿の目は闇の中で、青く光るのだそうだ。山の中の夜道は暗い。懐中電灯で足下を照らしながら歩いていると、山の向こうに大きな月が見えた。残念ながら鹿は、今日はお休みのようであった。帰ってからも夜遅くまで、思い出話が続く。10部屋以上もある広い家に、2階は女性、1階は男性、と別れて就寝。夜になると、夏とは思えないほど涼しく、熱帯夜の津の街が嘘のようである。

 翌日、朝の内に帰った人が何人かあったが、残った人は、昨晩のあまごご飯のおにぎり、昨晩はもうお腹一杯で、作ることを取りやめた焼きそば、そしてみそ汁に舌鼓を打つ。ついで、何台かの車に分乗して、まず近くの川上若宮八幡宮に行く。ここは、仁徳天皇の妃、磐之媛皇后を祭神とする神社で、伊勢の豪族、北畠氏の祈願所でもある。駐車場から緩やかな坂道を登ると、立派な社殿があり、そこから少し道を下りると、雲出川の源流の美しい清水が流れていて、ここで手を洗う。そこからざっと100段の石段を登ると本殿がある。皆お賽銭を上げ、「世界平和」を祈願する。ある人は「五穀豊穣」、「家内安全」を祈願したそうだ。さらに奥へ行くと、瀧があり、ここは瀧に打たれて修行をする場所とのこと。瀧から流れてくる空気は、心を洗われるような清浄なものであった。
 車は更に西に向かい、奈良県に入って曽爾村に着く。ここに「お亀の湯」という温泉がある。入湯料は、土曜日は700円だが、人数がまとまれば回数券を買って入ることもでき、これをうまく使って500円で入ることができた。温泉はアルカリ性なのであろうかぬるっとして、いかにも温泉という感じである。露天風呂に入って、涼しい風に吹かれていると、何もかも忘れてしまいそうである。
 午後3時からの、津高同窓会に向けて、津に帰る。T幹事長とF氏は、我々32年卒業生が書いた、「国民学校1年生の戦争体験」を、出席者に買っていただくべく、早めに会場に駆けつける。今年は、32年卒は、21人が出席とのことで、例年より少し少なかったようだ。2次会は大門の「梧」で。これには40人近い人が出席し、大盛況。更に、3次会、4次会にと流れた人もあったようだが、定かではない。
 こうして、今年の同窓会、前夜祭は終わった。宴終わりて残るは涙。しかしまた来年も皆元気で集まりたいものである。
 最後に、お世話になった幹事長、そして特に奥様に、心から感謝の気持ちを捧げ、この稿を閉じることとしたい。

終          

8/5同窓会総会
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