私達、津高校32年卒の人は、来年殆どの人が「古稀」迎えることになる。古来稀なり、と言われた古稀も、最近では、その年になるまでに、この世に別れを告げることが稀になってきたとも言われるようになった。しかし、何はともあれ七十年の人生を無事に生きてきたことを感謝し、その幸せを噛みしめることは、素晴らしいことである。
 2003年は箱根、2005年は信州安曇野と、回を重ねてきた私達同期生の旅は、その古稀を前にして、今回、尾道、倉敷を訪ねることとなった。一度は、金沢方面に決まりかけていた今回の旅は、諸般の事情で再アンケートを行った結果、東日本、中部日本に続いて、今回は西日本となった次第。

 10月25日、天気は曇りがちながら、まずまずの状況の中、40数人の人を乗せ津駅西口を出た1台のバスは、関ドライブインで、さらに2人の人を乗せ、名古屋から約10人の人を乗せたバスと一緒に、名阪国道を大阪に向かった。
今回使用したバスは、後部座席がサロン風にできるもので、この席はアルコールが好きな人が中心になり、たちまち、ビール(と思ったところ発泡酒であったが)、焼酎、お酒で盛り上がる。
 大阪で乗車する人は新大阪駅前に待っていたのだが、そこに到着するなり、かなりの人が、大阪の人の顔を見るのもそこそこに、トイレに向かって駆け出したのもやむを得ないことではあったが、一部の大阪の人は憮然とした表情であったとか。
 新大阪で、弁当を積み込んだバスは、一路、山陽自動車道を尾道に向かう。弁当を食べながらも、アルコール消費量はぐんぐんと上昇し、会話は弾み、時間の経つのはあっと言う間で、15時頃、バスは尾道のロープウェー下の駐車場についた。ここで、すでに昨日から山陰、山陽方面へ来ていた東京組と合流。これで参加予定者79人が揃った。
 尾道は、よく知られている観光の町で、坂道と、お寺と、文学がそのキーポイントであるが、時間的にその全てを回ることは不可能で、ともかく展望台のあるところへ、ロープウェーで上ることとした。一度に31人が乗れるロープウェーは、山麓駅から、山頂駅へ約3分、上へ上るにつれ、尾道の街が一望の下に見られるようになってくる。真下に、川のような尾道水道があり、山裾に町が展開し、対岸の山々を縫って、しまなみ海道が走っている。対岸の向島には造船所があり、さらに遠くには因島が望まれる。お寺の屋根屋根も多く見られ、目の下には立派な三重の塔が聳える。ほぼ全員が、往復のロープウェーの切符を買ったが、帰りの切符を使わず、文学のこみち、と称される、下りの坂道を歩いた人が多かった。このこみちに沿っては、作家志賀直哉旧居、歌人中村憲吉旧居や、千光寺、天寧寺、信行寺等のお寺がある。ロープウェーのガイドさんは、歩くと30分かかると言っていたが、実際に歩いてきた人の話では、それほどでもなかったようだ。しかし、16時30分と言う出発時間も迫っていたので、それらの旧居を見、お寺を拝観することは殆どできなかったようだ。この道はかなり急な階段が続き、下りるのはともかく、登るのは実にしんどい。ここに暮らしている人の苦労が偲ばれる。
 今日の宿は、鞆の浦にある鴎風亭と言うホテルで、ここには18時頃に着いた。温泉に浸かったあと19時から宴会。まずは集合写真だが、79人ともなると綺麗に壇上に揃うまでが一仕事。瀬戸内海の海の幸がお膳の上を彩っている。鯛の兜煮が大変美味だったと言う人が多かった。暫く、食事、お酒を楽しんだあと、いろいろな芸を持った人たちの競演が始まる。飛び入りかと思われる漫談、美女3人のフラダンス、羽織袴を着用した男性の歌、派手やかな彩りの衣装に身を包んだ人の日本舞踊、普段はあまり聞かない腹話術、プロ級のカッポレの踊り。他にもあったかも知れないが、最近の記憶力の衰えは、どうしようもない。記載漏れの人があれば、平にご容赦。 21時頃に宴は終了し、部屋に帰って睡眠をとった人、お話に時を過ごした人、カラオケで歌いまくった人等に別れたが久しぶりに会った友人との懇談は、いつものことながら、時間を忘れさせてくれるものだった。

  ここ、鞆の浦は、平安時代から開けた古い街で、近代に入ってからは、福山、尾道に繁栄を奪われた分、古い街並み、お寺が残っており、ゆっくり散策すればとてもよいところだと思われるが、残念ながら私達は、一夜を過ごすのみである。宮城道雄の、箏の名曲「春の海」はここで作られたのだとか。翌朝、一部の真面目な人は、朝早く起きて、少しの時間ではあるが町を散策し、とても良いところだった、との感想を語ってくれた。
 26日朝、食事の部屋の前には、観光社の人がいて、昨日一括支払ってもらったロープウェーの代金を集めている。同時に昨日の宴会前の集合写真も販売している。私は、写真は要らないのですが、と言うと、いやそう仰有らずに協力願います、と言う。そう言われれば、仕方がないので、やはり買うことになってしまった。大きな封筒で、一泊旅行に持ってくる程度の鞄には入らない。持ち歩いているとどこかに忘れてきそうだ。
 蔦の門くぐりて受胎告知の絵〜Deko〜

 今日はこれから倉敷に行く。バスは9時に出発し、高速道路を暫く走って、約1時間で倉敷に着いた。雨が降ってきた。倉敷の目玉はなんと言っても、大原美術館だろう。昭和5年、実業家、大原孫三郎が創設したもので、泰西の名画、日本の洋画、陶磁器を中心とした工芸品、東洋古美術品が数多く展示されている。
 本館は、主として西欧の名画で、エル・グレコ、モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソ等は誰でも知っている名だが、知らない名前の人の方が多い。もちろん、絵に詳しい人ならば、いろいろ知っていてそれなりに見ることもできようが、門外漢の私達(そうでない人には失礼)には、どれをとっても同じように見える。20世紀後半の新しい絵もあり、訳の分からない抽象画もある。中に、頭上に長く並んだ巨大な作品があり、見ていると首が痛くなってきそうだったが、その題がまた長いもので「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして甦らしめん」と言うものだった。音声案内の器具を借りて聞いていた人の話によれば、エル・グレコの「受胎告知」の値段は、その前の部屋にあったモネの「睡蓮」の7.5倍だそうで、絵そのものの価値よりも、値段の方が話題になるのは、画家に対しては申し訳ないが、大いにあり得ることであろう。分館は日本人の油絵で、これも梅原龍三郎、安井曾太郎、青木繁、坂本繁次郎等の他、西欧の人よりはなじみのある名前があるが、最近の絵となると、その現そうとしていることも、作者の名も、分からない。工芸館に行くと、B・リーチ、富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎等の、陶磁器の作品が並び、私にとってはこれらの方が親しみやすかったが、もちろんそれは各個人の趣味や感性によるものなので、作品の価値とは関係はない。それにしても、大原孫三郎が成功した実業家で、これだけのものを集めうる経済力を持っていたとは言え、今も尚、作品が集められつつあり、見事に整備されたこのようなミュージアムが、運営されていると言うことは、倉敷市民にとっても、それを見に来る他府県の人々にとっても、実に有り難いことである。    
 美術館を見ているだけで、たちまち時間が経ち、12時を過ぎてしまう。集合は13時10分と指定されているので、昼食を取っていると、もう他の所に回る時間は少ない。土産も買わなければならないし。倉敷川のほとり、落ち着いた街並みを歩きながら、昼食を食べるところを見つけ、地ビールを飲んでいる内に、時間が迫ってくる。結局美術館を見ただけとなってしまったが、これも致し方あるまい。
 東京組は、倉敷駅からJRに乗るとのことで、駐車場で手を振りながらお別れとなる。遠いところからきて下さって、ありがとう。来年は、東京組のお世話で、東京で同窓会が開かれる予定と聞く。多くの人が集まることを期待したい。
 バスは再び山陽自動車道に入り、時折休憩を取って、新大阪についた。もっとも、それは2台のバスの内、大阪、名古屋組が乗っている1台のことで、もう1台は津に帰る人ばかりなので、新大阪にはよらず、津に直行する。名古屋の人も、新大阪から新幹線で名古屋に帰る方が、ずっと早いので、全員ここで降りて新幹線を利用する。全員が津に直行するバスには乗れなかったので、淋しいながら9人がこのバスに残って約1時間遅れで津に向かった。大阪組は、待つ人の待っている家にすぐ帰るのかと思ったが、なかなかそうは行かず、どこかで夕食会(飲み会?)が開かれるらしい。
 走り出したバスの中を点検すると、持ち主の分からないカメラが1台ある。きっと、M氏の物だろうと判断し、携帯で聞いてみるとやはりそうだった。メモリーカードだけ抜き取って送って欲しいとのことであった。津駅について、バスを降り帰ろうとすると、ガイドさんが、忘れ物です、と大きな封筒を差し出す。中には大きな写真と、CDが入っている。心配していたことが当たった。これには持ち主のお名前が書いてあったので、後日お渡しすることにして、預かった。
 なお、津に直行したバスは、ひどい渋滞に巻き込まれ、途中の休憩場所である、針テラスについたのは、新大阪に回ったバスよりも20分遅れとなったのは皮肉なことであった。四日市に帰る、H氏は、もともと新大阪に回るバスに乗っていたのだが、早く帰れるようにと、直行バスに移ってもらったのに、逆の結果となって、気の毒なことであった。

 3回目の、旅行も無事終わった。計画段階からいろいろと変更もあり、バスの乗車場所も、5箇所に別れて、うまく集まるあつまるかどうかも心配され、幹事長さんは大変気を使ったと思われるが、ご本人は至極気楽に、この仕事は大好きと言って居られるので、また次も申し訳ないが、お世話になることにしたいと思う。    
  終わり    
(2007/11/01)

<注>  ◆写真提供: Deko ・ Yama ・ U-Jin ・ 倭神豚   ◆挿入俳句出典: Dekoのメモ帖    ◆集合写真: 高精細版                    
     編集責任:☆G   
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