2013秋 S32同期会旅行記                    
 還暦、古稀など長寿の祝いは、従来数え年で行うことになっていた。近年、満年齢で行うことが普通になってきたが、旧来の方法に従えば、32年高校卒の人の大多数が、来年喜寿を迎えることになる。つい先だって、古稀を迎えたばかりなのに、もう喜寿とは!

 2003年10月、津高32年卒の初めての一泊旅行が行われて以来、今年で10年になるが年々参加者は減少し、昨年はついにバス1台と言う状況になった。もう長途のバスの旅も、なかなか大変だという声も聞かれるようになってきた。幹事長もいろいろ考えられたのだろう、関東、中部、関西、津の全地区を対象にした一泊旅行は、今年を最後とする旨の案内状が、発信された。これに答えて、申し込んだ人は、70名を超えたと聞いた。 当然バスは2台必要になった。しかし、日が迫るにつれ、体調、家庭の事情その他諸々の要因で、欠席者が増え、結局は、全地区あわせて55名参加と言うことになった。これも年令のしからしむるところであれば、やむを得ないことであろう。
 今回の旅行は、高山、上高地方面。メインは、新穂高ロープウェーからの展望、紅葉の上高地、飛騨の街高山、となっている。

 10月17日、津駅西口に参加者は次々集合、しかし出発予定の7時40分になっても、1名の人が来ない。更に10分待ったが、まだ来ない。自宅に電話しても出ない。 仕方なく、幹事長の決断で出発することになったが、暫くしてようやく自宅との電話がつながった。家の人の話では、関ドライブインで乗るべくそちらに行かれた由。よくよく究明してみると、同じ姓の、仲良しの方が2人あり、一人は津駅で、一人は関ドライブインでバスに乗るべく申し込んであったのだが、そのうち、津駅で乗る人から欠席の連絡があった時、同姓のため誤って、関ドライブインで乗る別の人を欠席扱いとしたための手違いであることがわかった。バスはもちろん関ドライブインに寄って、この人を乗せ名古屋に向かった。 名古屋駅では、大阪方面からの人も乗車し、人数は50人となったが、バス2台に分乗したため、余裕のある席となり、一人で二人分の席を使用している人も多かった。快晴で東海北陸自動車道の走る山間の眺めは、まだ紅葉には早いが、目にやさしい。予定よりも早くトイレ休憩の要望(これは筆者からのもので、申し訳ない)があり、長良川SAに立ち寄る。それやこれやで、スケジュールはこの段階で、約45分の遅れとなっていた。
 予定の、ひるがの高原SAからは、澄み切った青空の下、初冠雪の白山が遠くに姿を見せてくれた。ここでも若干の遅れが発生し、昼食場所の高山グリーンホテルについたのは12時半近かったであろうか。ここで、東京からの女性3人組と合流し、昼食の60種類のバイキングに臨んだ。和食と洋食が少し離れたところにあり、あちらに行ったりこちらに行ったり、忙しいことではあったが、何しろバイキングのこととて、2皿、3皿とテーブルに運ぶ方もいて、全員満腹。アルコール類は、バスの中で相当体内に収めてきたため、ここで注文する人は流石に居なかった。
 次の予定は、あかかぶの里、と言うところであったが、すでに1時間以上の遅れを来しているため、ここを省略し、新穂高ロープウェーに向かう。途中、道から左に入ると、奥飛騨鍾乳洞があり、何時だったか金塊が盗難にあって有名になったが、ここには寄らない。 道を右にはいると、平湯大滝があって、これも有名だがここにも寄らない。
 奥飛騨温泉郷には、平湯、新平湯、福地、栃尾、新穂高と五つの温泉があり、それらの 中を通って新穂高温泉にある、新穂高ロープウェーの駅に着く、バスを下りると、温泉特有の硫黄の匂いが、プーンと嗅覚を襲う。ロープウェーは、新穂高温泉駅からしらかば平駅の第1と、しらかば平駅から西穂高口駅への第2の二つがある。第1のスタートからは、国内でも有数の傾斜、約35度の急な登りになっていて、耳がツーンとする。眼の下に、谷間の景色が急速に展開される。幹が白い樹木は、素人には「しらかば」と見えるが、これは「だけかんば」ですとの説明がある。目を上げると、笠が岳を中央にした山々が迫ってくる。しらかば平駅からは、7分間を要する長いロープウェーで、珍しい2階だてのゴンドラである。着いた西穂高口駅は、標高2156mと言う高いところにある。当然のことながらかなり寒い。天気が良ければ、周囲360度に亘って、穂高、槍などのアルプスの山々が見えるのだが、残念ながら雲が多くて、笠が岳(2898m)、抜戸岳(2813m)などが見えるだけだったのは残念であった。天気はそう悪くないのだが、雲の動きは激しくて、見えていた山頂もあっという間に隠れてしまう。帰りのロープウェーの時間も迫っていて、長くは止まっていることができなかった。

 新穂高温泉駅におりてきて、全員の集合まで待っていたが、どうも一人足りない。しばらく待っても、同じ。携帯で連絡を取ってやっとわかったところに依ると、しらかば平の駅で、迷ってしまったらしい。バス2台の内、1台は先行して宿に向かい、残る1台が、遅れた人を待ってあとから来ることになった。
 
 着いた宿は、山の中。本当に周囲に何もない、「奥飛騨ガーデンホテル焼岳」と言う宿であった。ここで東京から車で駆けつけた男性2人が合流、これで参加者55人が揃った。遅れた人も程なく着いて、夕食前に温泉に入る。温泉は広くて、普通の浴槽、立ち湯、寝湯、打たせ湯、露天風呂、等々があり、さらに、うぐいすの湯と言う浴槽は、混浴で、もちろんある程度の物をまとって入るのだが、人気の湯だとか。何年か前の、金沢に行った時も、同様の混浴風呂があったが、今回はこれに入った人は前回よりも少なかったようだ。 
 夕食の会場は、掘り炬燵式の座敷で、座る席よりも楽だったが、集合写真を撮るのが、ちょっと無理であった。夕食の料理は、個人的感想になるが、なかなか趣のあるもので、覚えている限りの料理を書き並べて見ると、スッポンのゼリー、湯葉、モツァレラチーズ、高野豆腐、山菜、蒸籠蒸しの、湯豆腐、蒸し野菜、飛騨牛ともやし、そして蕎麦の実雑炊、鮎の笹焼き、飛騨牛と朴葉味噌の焼き物、蕎麦掻き、こんにゃく刺身、炊き込みご飯、等々。量も適当であったように思う。宴会の出し物は、腹話術の他は、恒例の踊りも本格的な物はなく、少し淋しい感もあったが、それでも和気藹々のうちに2時間が過ぎ去った。
 翌朝、出発前にホテルの前に並んでいる、古い旅客列車の車両の前で集合写真を撮る。何故、ここにこのような物があるのかよくは分からないが、中にはテーブルも並んでおり、パンフによると、ここでカラオケが楽しめるらしい。それはともかく、若干の人が欠けた が、写真も取り終わり、今日の予定地、上高地に向かう。平湯から、安房トンネルを抜け る。安房峠の道はかつては細い、曲がりくねった道で、ここを通り抜けるのに車で2時間かかったと言うが、今は立派なトンネルができて、7分ちょっとで越えられる。トンネルを出ると、上高地へのトンネル、釜トンネルがある。ここからは乗用車は乗り入れ禁止、観光バスも、土日は乗り入れ禁止となっていて、上高地の環境保護に力が入れられている。現在の釜トンネルは、2005年に開通したもので、1310mあるが、標高差は100mにも及ぶそうで、曲がりくねっている。急な坂を上って行くのが身体で感じられる。
 トンネルを出ると梓川沿いの道になる。天気は快晴で焼岳がその全容を見せてくれる。崖崩れのあとが見える。木々はもう黄葉の時期に入りつつある。風がなく、水面は滑らかで、山々が逆さに映っていて、平凡な言葉だが絵はがきのようだ。大正池に来た。一瞬ここが大正池かと、疑ったのは、湖面の枯れた木々少ないように見えたからだが、年月とともに、減っているのだろうか。池のほとりでバスを下り、川原で全員写真を撮る。

 ここでは、穂高の連峰が、岩だらけのごつごつした姿を見せている。まだ雪は積もっていない。ここから河童橋までの、3.5kmを散策する。気温はかなり低く、吐く息が白く見える。手が冷たい。私は手袋を持ってきていて、バスを下りる直前まで、持って出るつもりだったのだが、つい忘れてしまった。最近よくあることだ。足に自信のない人は、バスに乗って河童橋の駐車場まで行って待っていてもいいのだが、殆どの人が歩き出した。
 散策路は、川に沿ったり、林の中に入ったりする。こちらから歩いて行く人も多いが、河童橋の方から歩いてくる人も多い。行き交うごとに、こんにちはと挨拶がある。慣わしではあるが、気持ちのよいものだ。川の水は透明でそのまま飲んでもよいように見える。昔、学生の頃、もっと上流ではあったが、川の水をそのまま飲んだこともあったが、今はどうなのだろう。田代橋を渡って、少し行くと、ウェストン碑がある。飛騨山脈などの山々を、日本アルプスとして紹介したイギリスの人の名は、誰でも知っているだろう。散策路の途中からの穂高の山並みの眺めは、真っ青な空のもとに、いいようもなく美しいものだった。河童橋までの、約50分の散策はあっと言う間であった。 河童橋からの穂高連峰は、それまでにもまして綺麗に見えた。沢山の人が橋の上で写真を撮っている。
橋のたもとから少し離れたところに、トイレがあり、100円入れて下さいと書いてある。海外の観光地では、有料トイレはごく普通のことで、入口には怖い小母さんが座っていたりするが、日本では少ないだろう。もっとも、何パーセントの人が100円入れて行くか、疑ってはいけないが、考えてみたりもする。私は・・・。
 バスに乗り、高山に向かう。釜トンネルまでの道は、逆に来るバスが多く、狭くて大型バスの行き違いが難しいところも多々あり、暫くじっと待ってようやくすれ違うという状況が繰り返された。拡幅は難しいと思われた。宮脇俊三氏の著書に「夢の山岳鉄道」と言うのがあり、ここに、沢渡から上高地に、川に沿って鉄道をひくと言う話しが出ている。車はしめ出して、鉄道のみにすると言うのは、スイスのツエルマットでは実現しているから、あながち夢のような話しではなく、また実際にこれを計画した建設会社もあるそうだが、これが進んだと言う話しは聞かない。
 帰途の、安房トンネルを出る頃から、空が少し曇ってきた。上高地にいたときは、一点の雲もなかったから、天気には非常に恵まれた。ここで、昨日立ち寄れなかった、赤かぶ の里に寄ることになった。高山の赤かぶの漬け物は有名だが、ここでは、様々の赤かぶの漬け物を売っている。どれも試食ができて、美味しいものを買えばいいのだが、何しろ塩からい食べ物なので、そう沢山は食べられない。それでも幾つか食べてみて、私も美味しいと思えるものを二つ購入した。となりに、地酒専門の店もあり、もちろんこれも覗いたが、あまりに種類が多くて、どれを選んだらよいのか迷い、結局買わないで出てきた。選択肢が多すぎると、必ずしも売れ行きはよくないと言う論もある。
 高山に着き、高山別院の駐車場にバスを止めて、ここからは昼食と自由散策の時間。と言っても、そう多くの時間があるわけではないので、速戦即決で、ラーメンを食べると決めて、一番先に眼に着いたラーメン店に入った。幾つかのラーメンがあり、どれが美味しいかと聞くと、店の人は、普通のラーメンがいいですよと言う。良心的な店だ。  高山と言えば、朝市を思い出す。市の開かれる川辺に行ってみたが、もちろん時間が午後なので、その跡形もない。飛騨高山ふるさと博物館に行く。一昨年4月に、リニューアルオープンしたとかで、非常に清潔で、好ましい印象の施設。古い商家の家屋、蔵等の寄贈を受けて作られたものだそうで、雰囲気のあるものだった。からくり人形とか、円空の仏像とか、古い酒造りの資料とか、城主金森長近に関わる資料とか、全部は見切れなかった。寄贈したのは、永田家と言う商家だそうだが、他に矢嶋家と言う塩を扱った商家の資料もあった。入場無料と言うのが信じられないような博物館だった。  駐車場に戻り、帰途につく。高山駅で、JRで帰る東京の人を見送る。かなり時間は遅れている。それでも、もう一箇所、寄る所がある。関の、刃物センター。関のインターを下りてすぐ近くにあったが、周囲にはこれと言ったものもない。しかし、中の刃物を中心とした金属製品は、実に種類が多く、興味のある人にとっては、見飽きない所だろう。ここの売り物は、店主の刃物に関するトークで、歯切れよく、面白おかしく、聞き飽きない。包丁の研ぎ方についての講義があった。知識のない私にとっては、ほほう、と感心させられる内容だったが、家に帰って、妻に得意げに話しをしたところ、ある程度心得のある女性にとっては、ほぼ常識だと、冷笑された。
  東海北陸道から名神に入るジャンクションで、かなり渋滞があり、時間はさらに遅れた。名古屋駅で、大阪、名古屋組の人とも別れ、バスは急に淋しくなった。津駅西口に帰り着いたのは、予定から、1時間以上遅れた時間だった。天候に恵まれ、楽しい旅だったが、これで、最後かと思うと一抹の寂しさが残る。観光会社の社長さんは、これで終わりと言わず、またやって下さい、事務的なことは何でもやりますからと、PRに余念がなかったが、参加者も年々減少していて、同じ形で続けるのは、やはり少し大変なような気がした。参考までに、各回の参加者の数をお知らせして、この文を終わりたい。永年に亘りお世話になった幹事長に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。  
 2003年 箱根 95人   2005年 信州 85人
 2007年 尾道 79人   2009年 金沢 67人
 2011年 鎌倉 55人   2013年 高山 55人 
終わり



<<Photoni句 Special>>
    

<注>  ◆写真提供: 倭神豚 ・ HERO       ◆挿入冗句: ☆G
     編集責任:☆G  
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