2015 S32同期会旅行記                    

  






                                     梅本貞治
 2003年に始まった32年卒同期会の旅行は、2年前の「奥飛騨から上高地」の際に、美杉男幹事長からは長途の一泊旅行は、これで最後にしたいとの意向が示されていた。これに同調する意見も多かったが、暫くすると、やはり一泊旅行もいいのではないかとの話が、ささやかれ始め、丁度、喜寿の年でもあるし、これを記念して今回は近いところで、という案が出てきた。古稀記念と銘打った催しが、つい最近であったような気がするが、齢を重ねるにつれ、時の流れは益々速くなる。元気な内に、人生を楽しんでおきたいとは、誰もが考えている。
 そのうち幹事長の方で案が練られ、今回はずっと近いところ、愛知県の西浦温泉に宿泊し、近辺をまわるスケジュールがまとまった。案内の葉書が出され、集まった回答の結果、最終的に参加者は35名(あとで33人が正しいことがわかった)となった、と幹事長から聞いたのは、6月8日のことであった。前回の、奥飛騨上高地の時は、55名の参加であったので、今回はそれより減るとしても、40名台の数が予想されたのだが、思いもかけない少ない数になったのは、大変残念なことであった。しかし、いろいろ伝えられる情報からは、健康上の理由(自分、伴侶)、近親者の介護、等々があり、また、辛いことではあるが、この2年間に、幽冥を異にされた方も、幾人か居られることも事実である。
 それはともかく、旅行の日6月16日、天気は曇り。予定の8時30分、津駅西口には、ここからバスに乗る人が集まったが、これがなかなか来ない。バスは松阪から来るのだが、途中渋滞に巻き込まれて、結局20分遅れの到着となった。いつもお世話になる観光社の、K社長が同乗してきたのだが、かなり余裕を見て出たつもりなのに、遅れて申し訳ないとのこと。話しは逸れるが、最近、津市内で中勢バイパスが全通して便利になると予想していたのに、ところによってかえって渋滞が増えるという現象があり、今回もその影響かもしれない。
 名古屋までの車中のビールの消費状況は、いつもと同じことなので省略する。名古屋駅西口で、名古屋、大阪からの参加者を乗せ、バスは岡崎に向かう。岡崎には、徳川家康の居城、岡崎城があり、バスの車窓からよく見えたがここには寄らない。まず訪ねたのは、まるや八丁味噌。「八丁味噌」は、江戸時代から岡崎の2社のみが使用している商標で、すぐ隣にも同じ味噌の会社がある。味噌は大きな樽に入れて、二夏、二冬熟成されており、蓋の上には、丸い石がピラミッド状に積み上げられている。その重さは3トンだという。しゃもじで、できるだけ沢山の味噌をすくい取ってこれを500円(?)で買うというやり方があり、何人かの人がこれに挑戦。どれだけのメリットがあるのかは、よく分からない。こんにゃくに、味噌をつけたおでんを、サービスで食べさせてもらったが、なかなか美味しかった。
 次は、同じ岡崎市内の、一畑薬師寺。一畑薬師の本山は島根県にあるが、ここも大きなお寺である。まず、昼食をいただく。次いで、本殿でご祈祷を受ける。日本一と言われる、大きな木魚があり、これを叩きながらであるが、その音は低音で、お腹に響いてくるようだった。どのような御利益があるのかは、忘れてしまった。となりに、最近完成した、瑠璃光殿があり、中には、金箔の瑠璃光如来涅槃像が横たわっている。全長は、何mあると思いますか、と問われて、答えに困っていると、8.94m、即ち「やくし-894」なのですとの説明。その上の天井にはステンドグラスがはめ込まれており、蓮の葉を中心に綺麗な模様になっている。お寺のステンドグラスはめずらしい。永代納骨のご案内、というビラがおいてあり、見てみると、1霊位納骨36万円とあった。
 
 少し雨が降ってきた。やってきたのは、えびせん共和国、という、えびせんの店。この辺りはえびせんの産地で、あちこちにそのような名前の看板が出ている。お土産を買うのも観光の一部、経済発展のため、消費に貢献するのも私たちの役目。奥にコーヒーを無料で飲めるコーナーがあり、これだけ利用した人も多かったのではないだろうか。私もその一人だったが…。ここを出るとき、店員の若い男性が見送りに出てくれたが、派手な身振りで走り出したバスを暫く追いかけてきて、全員おおいに感心した。
 蒲郡オレンジパークに来た。オレンジパークとは言いながら、メロン、イチゴ等も作っており、私たちは、メロンの1/8をご馳走になった。K社長曰く、私からのサービスです、と。海産物も売っており、アオノリの佃煮を試食したが、塩辛くなくて、美味であった。ここでもいろいろ買い物をされた方は多く、中でもメロンの箱入りを、宅急便で大量に送られた方があるやに聞いたが、店の人も喜んでくれただろう。
 第1日の予定はこれで終わり、宿泊の西浦温泉銀波荘に向かう。雨が降りしきるなか、バスは間もなく海沿いに出て三河湾の沿岸を走る。対岸には、渥美半島があるはずだが、雲の彼方に隠れて何も見えない。
 着いた宿は海のすぐそば。西浦温泉では一番の宿という。すでに到着していた、東京組の人が出迎えてくれた。建物が三つあるこの宿の、玄関から一番離れた建物が、私たちの部屋だった。一方、大浴場は、反対の方にあり、部屋から大浴場に行くには、若干迷路のような感じで、うっかりすると迷ってしまう。
 宴会は、最近普及してきた、畳座敷に椅子・テーブルを置く方式で、膝や腰の悪い世代にはありがたい。若年層は、正座が苦手だというが、年輩層も足腰の退化と共に、正座が厳しくなってきている。ただ、座り込んでお銚子を片手に杯を酌み交わすという形のとりにくいのが欠点ではあるが、これは致し方のないことであろう。宴も進んで、カラオケタイムとなったが昔日の思い出話に夢中で、カラオケを歌う人はそう多くはなかった。最後は恒例の、高校三年生、青い山脈を歌い、そして校歌を歌ってお開きとなる。

 第2日は、まずまずの晴天。東京組は、ここでお別れして独自のルートを観光しながら帰られる由。バスから手を振って別れを告げる。再度このような光景が見られるかどうか、もう定かではない。
さて、今日の最初は、新美南吉記念館である。昨日バスの中でK社長は、数人が座っているところで、近くにアジサイの綺麗なところがあるので、希望があればそちらに寄るが、その場合新美南吉記念館は省略となります、どちらにしますか、と誰にともなく問いかけた。すぐには誰も答えなかったので、私は自分の好みとして、新美南吉館を選んだが、果たして多くの人の行きたいところであったかどうか、若干の疑問は残る。しかし、今日はその新美南吉記念館に行くことになった。新美南吉はご存じの人が多いと思うが、知多半島の半田市に生まれ、名作童話「ごんぎつね」を著し、29才の若さで世を去った人である。その半田市に記念館がある。記念館は半ば地中に埋もれたような建て方で、芝生が上を覆っている。スロープを下りて中にはいると、まずビデオシアターがあり、「手袋を買いに」という話しを上映していた。これも狐が出てくる話だった。いろんな童話を再現したジオラマ、南吉が暮らした住まい、小学校時代の様々な記録、作品の本、等々が展示されている。裏手には、ごんぎつねの舞台となった小山があり、遊歩道が巡っている。ここを散策する時間はなかった。近くに矢勝川という川があり、秋の彼岸の頃は200万本もの、彼岸花が咲くという。その頃は沢山の人で賑わうらしい。
 もう、昼食の時間となり、「魚太郎」という店で食べる。刺身が美味しかったのと、海鮮みそ汁の大きな器が印象的。海産物の広い土産物売場があり、ここでも多くの買い物をする人がいた。私も、ここで鯵の干物を購入したが、翌日食べてみるとなかなか美味しかった。

 常滑に行く。常滑は焼き物で有名、日本六古窯の一つである。陶磁器会館でバスを降り、地図に従って散策を開始。幾つかのコースがあり、私たちは一番短いAコースを選ぶ。地図上に番号が振ってあり、実際に歩いて行くと、その番号通りに案内板があり迷うことはない。窯跡、煉瓦造りのもう使われなくなった古びた煙突、坂道の両側の壁に瓶(土管のところもあった)を整然と埋め込んだところ(取りかかった人がこれを見て、沢山のたこつぼがあるわね…と話していたが、これはたこつぼではない)、常滑焼きの作品を展示、販売しているいくつかの工房、回船問屋をしていたという旧家、10本の煙突の登り窯跡、等々。曲がりくねった道、細い道、上り下りの道、懐かしい雰囲気のある散策路を、約1時間かけて歩いた。かなり気温が高くなっていて、汗をかいたが、帰ってきた陶磁器会館でいただいたアイスクリームは、何とも言えず美味しかった。 なお、近年難病で少し足が不自由になったFさんは車椅子を利用したが、K社長が上り坂下り坂を一生懸命支えてくれた。ありがたいことであった。
 最後に向かったのは、中部国際空港の対岸にある、めんたいパーク。いろいろな種類の明太子だけを売っている大規模な販売施設。何故このようなところに、と疑問が湧く。聞いてみると、ある明太子製造販売の会社が、めんたいパークと称して、あちこちに出店しているのだが、東北地方に出店したものの、すぐに地震があって壊滅したので、代替地として探したのがこの地であったそうで、明太子を売るだけでこんな大きな施設が維持できるのかどうか、不思議なほどだが、 観光バスがひっきりなしに来ていて、客は多い。ビデオを利用した説明コーナー、箱詰めのラインを見学できるコース、試食コーナー等があり、時間つぶしもできるようになっている。しかしながら、今回の旅は、あちこちで買い物時間があり、皆さん、それぞれにかなりのお土産を買われた様子で、さらにここで買い物をされたかたは、少ないように見受けられた。 これで全ての予定が終わり、名古屋駅西口で、名古屋、大阪の人と別れて、丁度18時、津駅西口に到着した。

 遠くに出かけるのもいいが、近くでゆっくりとするのもいいのではないかと思った。しかし、今回の参加者数から見るに、次回はどうなるか、どうすべきか、考えるべき時期に来たのかもしれない。尽力いただいた、美杉男幹事長にお礼を申し上げるが、今後のことについては幹事長も少し頭を悩ませるのかもしれないと感じた。
終わり
    
参考データ 【バス旅行参加者の推移】  
2003年 箱根 95人   2005年 信州 85人   2007年 尾道 79人
2009年 金沢 67人   2011年 鎌倉 55人   2013年 高山 55人
2015年 西浦 33人
                                            
    
<注>  ◆写真提供: 倭神豚 ・ HERO       
     編集責任:☆G  
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